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風と戯れて・・・ 風が運んでくる様々な記憶を、心の眼で感じ撮る・・・ まだ見ぬ、自分との出逢いを求めて・・・

白、山茶花、母

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5Dmark2 TAMRON SP AF 180mm F/3.5

庭さきの山茶花が咲き始めました。前にも書きましたが、
父が勝手に山茶花を切ったために大げんかしたことのある想い出の花。
自分の部屋から雪が輝いているようにみえるのですが、近年、
大気汚染のためか、あ、輝いていると思ったことがない。

こんな父との想い出のある花をみていると、
母が向こうへいったら、父は母を大切にしてくれるのかなと思う。
母は、父にとって3番目の妻である、1番目はよくわからない・・・
他の方に父や母のことを問われたときに、そう答えると、
「おとうさん、お好きだったのね」とか「おかあさん、美人だったのね」なんてかえってくる場合が多い。
生きた時代の違いに言葉をなくす。バカヤロ~~なのだ。
父は大正2年生まれ、農地改革で没落した地主の息子であり、
戦争が結核でいけず、牢獄のような部屋に入院していて、
面会は牢屋から3メートルほど離れた小さな小部屋から話ししたとか・・。
それは、義姉から聞いた。父は、戦争に行けていないことを恥とも思っていたのだろう。
どんなところに入院していたのか、わたしに言ったことがない。
結核は、当時は隔離され、嫌がられ差別された病気であり、
そのために父は2番目の妻、4人の子どもと離婚させられ、
わたしの母は病気は治ったとウソ、離婚してまったく関係ないとウソで結婚させられ(笑)・・・
父も寂しかったのだ・・
義理の兄弟、前妻のもつれで、父の葬式の日まで修羅場であった。

ありえない苦労をした母が父が息をひきとるときに
「ありがとうございました」と手をあわせた。すごいなと思う。

我が母も、父母ともに結核ではやくになくし、
青春を戦争でつぶし、終戦のどさくさの、
なんでもありの汚い詐欺横行のなかで生き抜いた。
そんな人間を大切にしてあたりまえである。
今、自分たちがあるのはその人たちのおかげであるとも思っている。

我が母だけでなく、自分を育ててくださった方が
それなりに終末を迎えはじめた。
時間は有限である。

散っていく花びらが輝くよう、
そばにいてさしあげたい。また、自分の生き方を問われている今である。





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